散歩と思索

散歩と思索 · 2022/03/02
最近、保母さんに引率されて散歩する保育園児をあちらこちらでよく見かけます。行き会うと思わず立ち止まってしばらく見入ってしまいます。 足元の雑草の前で動かなくなったり、急に駆け出したり、ほかの子にいたずらをしたりといったてんでんな動きを見ていると、自意識の塊である自分にはない無心さをうらやましく感じます。
散歩と思索 · 2021/02/23
散歩の途中で以前の教え子に会うことがあります。そんな時、たいていはその子が初めて親御さんに連れられて私の塾に来た時のことを思い出します。ほんの10年ほど前に、将来の夢を語ったり、私の教え方や人生観について反論していた子が、今はしっかりと親になって、子供を連れている姿を見ると、時の流れの速さと人生の重みを感じます。...
散歩と思索 · 2019/08/05
真夏の外に出るのが嫌な日、クーラーをつけ、ベットの脇に冷たい飲み物を置き、気楽な随筆や時代小説を読みます。 飽きたら、窓ごしに、外の木々の緑と梢に羽を休める鳥たちを、腹ばいになって時を忘れて眺めます。 いつの間にか陽の光は弱くなり、外は夕方の気配です。
散歩と思索 · 2019/05/02
桜が散って一か月以上たちます、朝散歩する人たちも日常を取り戻し、自分のペースで朝の空気に親しんでいます。桜の木も新緑が多くなり目を楽しませてくれます。 他の桜の名所も同じかも知れませんが、桜の時の飛鳥山よりも今の飛鳥山のほうが、私の心を癒してくれます。...
散歩と思索 · 2019/03/01
散歩には、健康の為の他に、現実を離れて、思考を楽しむという一面があります。そのなかには、時空を超えて、自分自身の過去や将来に思いをはせ、楽しむという側面もあります。そして、私は、人里を離れた場所を歩いていると、突然、そのあたりに過去に暮らした人々のことを考え、多くの時代にタイムスリップする時があります。特に、私が戻りたい時代は縄文時代です。その頃は人間の思考回路も単純で、人間関係も複雑でなく、人々は自然の中で謙虚に生きていたことでしょう。
散歩と思索 · 2018/08/23
まだ、小学校の下級生だった頃のカブトムシ採りが懐かしく思い出されます。...
散歩と思索 · 2018/06/05
雨の降る中、傘をさしての散歩もよいものです。傘によって狭められる視界と緩やかな歩調は、晴れた日と違った風景を私に与えてくれます。
散歩と思索 · 2018/04/15
散歩には、場所、時間の他に、様々な形があります。恋人や友人との二人だけの散歩、家族と談笑しながらの散歩、一人での、思考に耽りながらの孤独な散歩、これらは全て先人が繰り返し、地上に自然が残り、人間が残る限り続く散歩の形です。晴れた日の散歩だけでなく、曇り、小雨の日の散歩も良いものです。早朝の爽やかな空気の中での、散歩だけでなく、昼下がりや夕暮れの散歩も新たな発見があるものです。結局、散歩の本来の形は、時間、場所、天候に拘らない、自由な心と行動にあるのではないでしょうか。
散歩と思索 · 2017/08/14
この前の日曜日、海辺の道から、山沿いの小径に向きを変え、林の中に、畑がみえ隠れするのを見ながら歩いている時、農作業中の、80歳前後のお婆さんに会いました。  私が「朝早くから暑いのに大変ですね」と、声をかけると、「今日は涼しいほうだよ、気持ちがいいから仕事がはかどるよ」と言う返事でした。...
散歩と思索 · 2017/05/01
寒い季節の散歩は、陽射しが多く、人影が賑やかな方に足が向きますが、気候が緩むようになると、自然に、足は木陰に向かい、人々が集まっている所を避け、路地裏の日陰を歩くようになります。特に、春から初夏に掛けての散歩は心が解放され、私のように夢を持つことを忘れた人間でさえ、何か新しい事に挑戦しようと思いますから不思議です。

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